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書籍の感想

『15人が選んだ幸せの道』の感想

AK 独身女性、会社員

一言「私は本を読んでこんなに感動したことは今までになかった」

所要時間約20時間くらいでしたが、読み終えた時は胸が熱くなり涙が出そうなくらいでした。(心が温かくなったという感じでしょうか)

グラッサー博士の事例集ということは聞いていましたが、事例に解説がつくので、初めて選択理論の勉強をする方でも理解しやすいと思います。まったく初めてと言う方には、おもしろい小説を読んでいるような感覚で読み進められるのではないかと思いますが、選択理論を少しでも勉強されている方にとっては、芸術作品を見るような感動があるかと思います。話の内容は、全く別世界と思われるものから、実際体験のあることまで、かなりショックを受けることもありました。

第14章のアルコール依存症の話などは、私には言い訳に聞こえないこともグラッサー博士は言い訳として対応していくところは正直に言って驚きました。責任の概念はこの章で一番強調されているようでした。一章一章終わる度に何だか完結できていなくて(自分の中で)「やだな」という思いから、どんどん読み進んで行ったのかもしれません。でも、最後まで読んで完結でき、この一週間、とても充実してたなと思いました。グラッサー博士の『選択理論』は一カ月かかりましたが、また、読み直そうと思います。終わったら『15人が選んだ幸せの道』をまた読もうと思います。

TI 既婚男性、高校教師

10月とはいえ、まだ暑い感じの日が続いています。お元気のことと思います。

この三日間、新著『15人が選んだ幸せの道』を読み、最近のグラッサーの取り組みに感動を覚えました。いい本ですね。お二人により訳されたこの本、今後いろいろな方々にすすめられる本だと思います。読むことができてうれしく思います。そして、この本の中にしばしば出てくる『選択理論の言語』(未刊)も読みたくなりました。

慶応義塾大学 村瀬旻

『15人が選んだ幸せの道』の「はじめに」で、グラッサー博士は、"本書では、読者は、私がカウンセリングをしているときに、私といっしょにいることになる。セラピストの立場からでも、クライエントの立場からでも、私のしていることの効果を判断してもらいたい。"と書いている。

まさにその言葉のとおりの本で、博士がカウンセリングを行いながら、クライエントから何を読みとり、何を考え、それをどのように伝えていくか、その実際が(訳文が平明であることもあって)まざまざと読む者に伝えられてくる。

読むうちに、いつのまにか私はその事例の中に入りこんでしまい、2つの立場を行ったり来たりする。私は「『私』へ『私』から」というメモをつくった。"私たちは自分の行動の全てを「選択」している。自分は自分の人生に責任がある。"読むことが、自己カウンセリングになっていたのである。本書と『選択理論』とを合わせて読んで、選択理論・現実療法がさらに自分のものとなったように思われた。

東洋大学名誉教授 恩田彰

大変興味深く拝読しております。臨場感あふれる文章の中で、グラッサー先生の選択理論と現実療法が具体的にお示しいただき、先生の明解な翻訳のおかげで、十分に納得致しました。



『選択理論』の感想

岩崎 康夫、'01/02/28

『選択理論』を読んで、その速やかなる普及を訴える。

人間長くやってますと、良い本と出会って感銘を受けることはよくありますよね。それでも、魂を揺さぶられるような本との巡り会いとなると、それは稀なことではないでしょうか。

最近、私は54歳という人生の下り坂で、そんな衝撃的な読書体験をしちゃいました。グラッサー博士の「選択理論」です。

冒頭いきなり、この本の世界に引き込まれましてね、つぎつぎと展開する刮目すべき理論に「うーん!」と呻き声をあげることもしばしば。ときには、脳天をガツンとやられたときのような疼きを頭の芯で感じたりもしました。ほとんどのぺージが含蓄ある言葉の満載でしてね、なにかこう、押し戴くような感じでね、赤線を引きつつ読みましたら、本全体が真っ赤になってしまいましたよ。読み終えて、今はね、頭の中で何かが変化し始め、体内には熱いものが廻り始めている自分を感じるんです。こんなエキサイテイングな読書は学生時代以来、絶えて久しかったことですよ。  「変われるってドキドキするね!」  たしか、ビートタケシ演ずるそんなCMがありましたよね。これぞ、まさに今の私の心境です。この歳にして、私はいま人生の新たなスタートラインに立っているのかも知れないなあ。

 

以下、大げさだと思われるでしょうが、この衝撃の読後感ついて述べてみたいと思います。ただ、その前に、この本に巡り会った経緯に少し触れておきましょう。

 

2年半程前、娘(現19歳)が過食症に罹りました。家族にとって、まさに晴天の霹靂でした。動揺と失意の淵で、この病気の症状や原因や治療法の理解のために、いろいろ文献を漁り、精神科医やカウンセラーをあちこち訪ねて廻りました。こんな経過のなかで、娘の摂食障害の直接の原因は家族の人間関係、特に私との関係に在ると理解するようになりました。ところがそれはとりもなおさず私自身の人間性と、夫や父としての生き方の問い直しを意味しました。

 

一方、私は妻と二人で私塾を営んで20年程になりますが、こちらの方でも行き詰まりのようなものを感じていました。ここ数年、子供達が大分変ってきて、従来の指導法に限界を認めざるを得なくなっていたのです。塾ですから、学級崩壊やいじめのような問題はありませんが、それでも子供の学力集中力、耐性などが、年々低下している感じは否めませんし、もっと言えば、傷つき易い、友達が出来ない、協調性がない、など社会力の低下は、より顕著に看て取れます。そして、そんな子供達の背後には、やはり家族の人間関係の問題が透けて見える気がしていました。

こうした子供達に一斉授業はもはや通用せず、まして、塾特有の一方的詰め込み型の授業には無理があります。これまでは強い個性と指導力で生徒を引っ張って来たという自負がありましたが、ここに至って塾教師としての在り方を、生徒との人間関係の面から根本的に問い直さざるを得なくなっていたのです。

こうして、家庭と仕事の両面において、自己変革の必要性と人間関係の重要性を、痛く自覚するようになったのですが、一方で、自分を変えることが如何に難しいか、それを痛感せざるを得ない日々となりました。  そんなときカウンセラーの勧めで参加した研修会で、磯部先生の講義から「選択理論」に巡り合ったのです。  人間の全行動を、行為、思考、感情、生理反応の四つに分け、それを車の四輪に例えた理論は解り易く、しかもそれが「幸せな人間関係を築くため」の理論とあっては、私にとって、これぞ、まさしく地獄に仏。何はさておき飛びついたという次第です。そして、いざ読み始めてみると、それはもう先に述べたとおりの大変なことになってしまったのです。

 

その読後感の第一は、心理学はすごい。これは救いの学問である、ということです。恥ずかしながら、私は心理学について、パブロフの条件反射とか、目の錯覚とか、せいぜい認知的不協和の理論とか、その程度しか知りませんでした。大学で初めて心理学に触れたとき、それは心の問題を扱う学問だから悩みの解決に何かヒントを与えてくれると期待したはずです。しかし、大学の講議は動物実験の話ばかりで、すぐ失望してしまいました。一応フロイトにも挑戦はしましたが、こっちは歯が立ちませんでした。当時は、イドもエゴも、まるでお呼びじゃない、という感じがしたんでしょうね。

 

こんな訳で、私にとって心理学は人間味のないSーRか、さもなくば、訳の分からぬ無意識世界を扱う学問で、いずれにせよ面白くないし、役にも立たない。そんなイメージが出来てしまったのです。以来30年。心理学とは縁のない人生でした。この間、何回か人生の壁にぶつかりましたが、そんなときには例えばカーネギーの「道は開ける」など(古いねー!コレッ)の人生論的自己啓発書の類いか、文学や哲学に救いを求めたのでした。それらは確かに良い本で感銘も受けましたが、所詮はいっときのこと。人生が変わる程のインパクトはありませんでした。  こうして私は、悩みを解決するための有効な知識を人並みに求め続けながら結局、それを果たせずにここまで来てしまっていたのです。  しかし長かったこの不運も「選択理論」と巡り合って終ろうとしています。

 

30年ぶりに読んだ心理学のこの本は、私には全く新鮮で、むしろ人生哲学のようだと感じました。「選択理論」は、人生いかに生きるべきかの根本問題に真正面から取り組んでいて、その意味で人生論そのものだと思うのです。ところが、その中核理論は先端脳科学の知見に基づいた仮説を枠組みとしていて、科学としての信頼性極めて高く、その上に、グラッサー博士の卓越した洞察が織り込まれて、なる程、これは新しい心理学だと納得したのです。同時に、心理学の大きな進歩に驚かされました。人間の生き方という複雑極まるテーマは実証不可能で、所詮科学の及ばぬ領域、つまり哲学の分野だと、ずうっと考えていました。しかし「選択理論」を読んで、心理学ほど大切な学問はないのではないか、と思うようになりました。

さて、この新しい心理学によって自己変革への希望がわいて来ました。それは、むろん簡単なはずがありません。なんせ私は50年ずっとこのかた、外的コントロール心理学で生きて来たのですから。それは、まさに私の血となっていて、私そのものです。しかし、それが人生にとって如何に破壊的で、かつ、それこそが私の苦しみの元凶であると知った以上、その血を内的コントロール心理学の血へと交換していかなくてはなりません。困難でしょうが、この血液交換によって、少しでも真の自由と幸福に近付けるならば、それは、また歓喜の作業に他ならないとも思えるのです。  「選択理論」を読んでからは、少しづつ変わろうと心掛ける毎日です。それでも、これまでの悪癖が随所に顔を出し、その度に苦渋を飲む思いがします。そんなとき、この本をぱらぱらとめくります。そして、明日はこうしてみようああしてみよう?などと思いをめぐらしていると、不思議なことに落ち着いて来て、元気が湧いてくるのです。これまでは、何か考え込んだ後は、ハンで押したように落ち込みを選択していた私がですよ! 自分で言うのも変ですが「私もズイブン変わったもんだ!」そして、こんなこと言うと照れちゃいますが、それでも言っちゃいます。 「近頃、何だかチョト若返ったみたいだなあ!!」

 

「選択理論」はまさに私の求めていた本でした。それに付けても思うのです。今、この国には、この本を私の様に、いや、私以上に求めている人が、ほかにも大勢居られるに違いないと。 そんな思いでこの国の現状を見ますと、「選択理論」を少しでも速く広めて行くことが、とても重要なことだと考えるようになります。  「選択理論」は言うまでもなくアメリカ生まれです。しかし、この理論は、むしろ今日の我が国に於いてこそ普及されるべき理論です。

 

 以下、話が硬くなりますが「選択理論」普及の重要性について触れます。 (紙幅の関係で話をコンパクトにせざるを得ません。解りにくい点があるでしょうがお許し下さい。)  いま、この国は危機に瀕しています。昨今の政情と株価の続落を見ると、危機がいよいよ現実味を帯びて来ました。危機の原因を一言で言えば、近代西欧文明の行き詰まりです。従って、これは先進国共通の問題ですが、我が国に関しては、極めて圧縮した形で近代化を達成しましたから、その分、西欧諸国に比べて歪みも大きい訳です。政治、経済を始め、環境、教育、医療など様々な面で行き詰まっています。しかし、より深刻なのは人間関係の行き詰まりではないでしょうか。特に、将来を担う若年層が危機です。若者の間で頻発している凶悪犯罪や、児童の間で日常化している様々な問題行動は、すべてその根底に人間関係の崩壊があることは明らかです。この社会病理はこの国の最深部、つまり心の中で進行していることだけに、大変気になるところではあります。

 

グラッサー博士は「外的コントロール心理学によって、人間関係はほとんど進歩していない」と述べています。  ところが私は、この国の人間関係は進歩がないどころか、戦後の高度成長期以降むしろ後退し、とくに最近、その侵蝕が進んでいると考えています。 急激な工業化が地域社会を崩壊させ、リースマンの言う「外部志向型人間」が高度産業社会を支える膨大な中間層となりました。また、フロムの言う「権威主義的パースナリテイー」は、我が国伝統の立て社会構造のなかで培養されて、今日の社会性格の基を形成しました。 こうした社会は「外的コントロール心理学」にとって格好の土壌となり、日本人大半の血となっています。外的コントロール型気質は、今や日本人の国民性となった感すらあります。 それはさらに情報社会の人間疎外と、階層両極分化の進行で、一段と強化され、若者や児童に大きな影響を与えています。少子化の、そして豊かすぎる時代に生まれた彼らは、地域から孤立した核家族の中で、外的コントロールの過干渉に曝され、人としての基本的能力である耐性や社会性を、ほとんど学習せずに育ちます。こうした子供達が、学校という、高度な社会性と耐性を要求される社会に適応していくのは極めて困難です。友達を作れない、ものごとに我慢が出来ない、家にいても面白くない、近所のおじさんおばさんはウザッタイ。こうした居場所のない子供達は今や少数派に留まらず、一大勢力となって学びから逃走しつつあるように見えます。これは私だけの感想ではなく、最近よく報道される青少年意識調査の国際比較データからも明らかです。このままでは、この国と彼等の将来はどうなってしまうのか。人間関係の崩壊が、今後いっそう進行するのかもしれない。そうした憂いを禁じ得ません。この私の不安感には心理学で言う過度な一般化があるでしょう。しかし、この疑問に、明確にNO、と答えられる方が居られるのでしょうか?  さて、そこで、対策や如何に? 

答え。「選択理論」を国民教育に組み込むべく市民運動を展開する。   「選択理論」の簡易版を作るか、ビデオかマンガにして普及し易くする。

 

この国の改革を、支配的地位にいる人達に期待しても無駄です。それはもうハッキリしています。硬直した組織からは、社会を変革して行く創造性は生まれて来ません。改革は市民パワーで始める他ないのです。私の尊敬する生活経済学者の暉峻 淑子(てるおかいつこ)氏が「ほんとうの豊かさとは」の中で『社会を変えて行く力は、生活の中にある矛盾や空恐ろしさを、日々の暮らしの中で感づいている一人ひとりの市民、そして、子供や孫たちの未来を希望あるものにしたいと願う私たちの中からしか生まれて来ない』と述べておられます。まったく同感です。  今この国に求められている最重要課題。それは人間関係の再構築だと思います。環境や政治経済などの諸問題が重要であることは言うまでもありませんが、崩壊しつつある人間関係に如何に歯止めをかけ、再構築して行くか。これは、もっと重要です。さもなくば、この国は衰亡の一途をたどるでしょう。  崩壊した地域社会を再構築することや、肥大化した人間の欲望を抑制することは、まず不可能です。だとすると、希薄な人間関係はそのままに、世の中はいっそう豊かで便利になります。そうした社会は、放っておけば、人間の耐性と社会性をさらに低下させます。しかし、そうした社会では、人間はいっそう耐性と社会性を求められることになります。自立とソウシャルスキルが重要になるわけです。 この矛盾を解決するのは教育しかありません。明治維新で、近代国家に適応できる国民を教育によって創り出したように、21世紀の人間中心社会の創造の為には、教育がなおさら重要になります。そして、その教育理念の中心は、グラッサー博士が、「選択理論」の最後で述べている『自由を使うために自由を得る』ということではないでしょうか。言い変えれば、内的コントロールの生き方ができる人間創りです。昨年末、「教育改革国民会議」の報告が出ました。しかし、それは案の定、時代に逆行した、外的コントロール心理学そのものでした。「選択理論」を知っている委員は、おそらく一人も居ないのでしょう。

また、教育改革の議論は、今や百出の感がありますが、心理学を初等教育から取り入れるという話は聞いたことがありません。これこそ、改革の目玉として議論されてしかるべきだと考えるのですが、如何がでしょうか?

それはさておき、心理学とは何と面白い学問でしょう!こんな面白く、かつ有益な学問をなんで子供の時から教えないのでしょう。これを一部の大人だけの愉しみにしておくのは不公平だし、大きな損失だし、不幸なことです。また心理学ほど協同学習に向いた学問はないと思います。私が今回「選択理論」に大きな感銘を受けたのも、学ぶ仲間がいたればこそ、でした。こうしたことを考えるにつけ、「選択理論」を中心とした人間関係教育を、小学校段階から導入することの重要性と有効性が議論されてしかるべきではないか、と思はざるを得ません。

こうして、21世紀の終わりまでには「選択理論」がもっともっと広まって、それが常識である世の中になっていないものか!  そんなことを思う今日この頃です。

参考書籍